漢方ブログ

#16 聞こえない朝のテレビ ─ 五感がそっと遠ざかる日のこと

耳・鼻・目、からだの”窓”を漢方でやさしく開く

ある朝、テレビのリモコンを手にしたお父さんが、音量を「22」から「28」に上げました。 隣にいたお嫁さんが、ちょっとびっくりした顔をしています。 でもお父さん自身は、何も変わったつもりがありません。

──こういう光景、思い当たる方はいらっしゃいませんか?

春の風に乗って花粉が飛びはじめると、鼻がツンと詰まる。目がしょぼしょぼする。くしゃみが止まらない。けれど、こうした「今、起きている不調」の裏側で、もうひとつ、もっとゆっくりとした変化が進んでいることがあります。

聞こえる力。嗅ぐ力。見る力。 からだに備わった”感じる力”が、気づかないうちに、少しずつ遠のいていく──。

今回は、そんな「五感の静かな変化」に、漢方がどう寄り添えるかというお話をさせてください。

見逃されやすい”小さなサイン”

「耳鳴りがするんです」 「鼻の奥が、いつもなんだかすっきりしない」 「最近、目がかすんで本が読みにくくて」

千幸堂にいらっしゃる方の中にも、こうしたご相談がじわじわ増えてきました。特に春先は、花粉症による鼻や目の症状と、もともとあった慢性的な不調が重なりやすい季節です。

ここでちょっと立ち止まっていただきたいのですが、こうした耳・鼻・目のトラブルには、ほかの不調とは少し違う特徴があります。それは、ご本人が変化に気づきにくいということ。

たとえば耳鳴り。夜、周りが静かになると「キーン」と音がする。最初は「疲れかな」と思う。でもだんだん慣れてしまって、気にしなくなる。そのうち、ご家族がテレビの音量や電話の声の大きさで「あれ?」と気づく。

漢方の古い書物には、「耳はこれ竅(きょう)なり。虚すればすなわち鳴る」と記されています。竅とは「からだの窓」のこと。耳も、鼻も、目も、外の世界と私たちの内側をつなぐ大切な窓なのです。

窓が少し曇っても、家の中にいる人はなかなか気づかない。外から見て初めて、「あ、曇ってるよ」と分かる──。耳鳴りや難聴の改善が見えにくいのは、そういう理由なのかもしれません。


【からだの窓】 耳・鼻・目は、外の世界と私たちの内側をつなぐ”からだの窓”。窓の曇りには、中にいる人ほど気づきにくいものです。


“聞こえる暮らし”を守るということ

耳鳴りや聴力の低下というのは、ただ「音が聞こえにくい」というだけの問題ではありません。

電話でお孫さんの声が聞き取れない。 テレビを一緒に楽しめない。 ご近所さんとの会話がなんだかかみ合わない。

こうしたことが重なると、少しずつ人との距離が生まれてしまいます。そしてそれが、心の元気まで奪ってしまうことがある。

漢方の世界では、「腎は耳に開竅する」と考えます。生命エネルギーの土台である「腎」の力が衰えてくると、耳の力もそっと弱くなっていく。そして、腎と深いつながりを持つ「肝」の働きが乱れると──たとえばストレスや不安、イライラ──それもまた耳の症状に影響するとしています。

ある漢方の勉強会で伺った話では、耳鳴りで漢方を続けた方のうち、約半数が1ヶ月ほどで「前より気にならなくなった」と感じているそうです。10だった症状が0になるのではなくて、7くらいに落ち着いて、日常を穏やかに過ごせるようになる。その感覚を、私はとても大切にしたいと思っています。


【チューニングの合わないラジオ】 耳鳴りは、”チューニングの合わないラジオ”のようなもの。脳が「聞きたい、聞きたい」と頑張りすぎて、ノイズが生まれる──そんなイメージです。


東洋医学が教えてくれた”根っこの話”

こうした耳・鼻・目の不調に、なぜ漢方が寄り添えるのか。そのヒントは、漢方独自の「からだの見方」にあります。

西洋医学では、耳は耳鼻科、目は眼科と、それぞれの専門に分かれます。もちろんそれはとても大切なこと。でも漢方は、ちょっと違う角度からからだを見ています。

「この方は腎の力が弱ってきているから、耳にも影響が出ている」 「脾(消化器)の力が落ちているから、水分がうまく巡らなくて、鼻がグズグズしやすい」 「肝の血が不足しているから、目がかすみやすい」

つまり、耳・鼻・目という”窓”の曇りを、その奥にある”根っこ”から整えていこうというのが漢方の考え方なんです。

たとえば、鼻の症状1つとっても。 サラサラ透明な鼻水が多い方は「冷え」が関わっているかもしれない。 黄色くてドロっとした鼻水は「熱(炎症)」のサインかもしれない。 同じ「鼻水」でも、からだの中で起きていることは一人ひとり違います。

こういう”根っこの違い”を丁寧に見分けて、その方に合った道筋を組み立てていく──それが漢方の得意なところだと、私は感じています。

春こそ、五感の曲がり角

「花粉症だから仕方ない」と思っていませんか?

たしかに春は、アレルギーによる鼻や目の症状が出やすい季節です。でも、専門家の間では「春の鼻トラブルは、からだの内側の変化を映す鏡」だとも言われています。

実は、花粉症の症状は季節の中で移り変わることがあるのだそうです。寒い2月は、サラサラした透明な鼻水が中心だったのに、3月から4月にかけて暖かくなると、鼻水がドロっとしてきたり、目の痒みや充血が強くなったり。

つまり、からだの中の「寒」と「熱」のバランスが、季節とともに変わっている。

この変化をそのままにしておくと、鼻の奥がずっとすっきりしない、いわゆる「後鼻漏」と呼ばれる状態にも進むことがあります。最近はインターネットでもこの言葉を見かけることが増えましたね。

春の花粉症だと思っていたものが、実はからだ全体の「五感の曲がり角」を示しているサインかもしれない。そう考えると、ちょっと放っておけない気持ちになりませんか?

あなたの不調を長引かせている”見えない犯人”

耳鳴りが気になって眠れない。 眠れないから、よけいに耳鳴りが大きく感じる。 気持ちがイライラして、もっと音が気になる──。

こうした負のスパイラルに心当たりのある方は、決して少なくないと思います。

ストレスや不安、睡眠不足、冷え、胃腸の疲れ、運動不足──こうしたものが、耳・鼻・目の症状を「なかなか良くならない状態」に引きずり込んでしまうことがあります。

漢方では、この見えない犯人たちのことを「肝鬱(かんうつ)」──気の巡りが滞っている状態──と捉えることがあります。興味深いのは、西洋医学でも「耳鳴りの悪化には心理的要因が大きい」と指摘されていること。東洋と西洋、アプローチは違っても、見ているところは実は同じなのかもしれません。

でも、この”犯人”には、西洋薬だけではなかなか太刀打ちしにくいのも事実。そこに、漢方のちょっとした出番があると私は考えています。

“窓を開ける”という漢方の発想

漢方には、「開竅(かいきょう)」という、とてもユニークな考え方があります。

竅──つまり「からだの窓」が曇ったり閉じたりしている状態を、そっと開いてあげる。耳の通りを良くする。鼻の詰まりを和らげる。目の曇りを晴らす。

古来、漢方の処方の中には、こうした「窓を開ける力」を持った生薬が散りばめられてきました。たとえば辛夷(しんい)は鼻の通りをすっきりと導くとされていますし、ある種の芳香性の生薬は、意識をクリアにする──つまり、頭のてっぺんに向かって「気」を届ける手助けをすると考えられています。

大切なのは、ただ「窓を開ける」だけではなくて、同時に窓を支えている土台──腎の力、肝の調和、脾の働き──も一緒に整えていくこと。それが、漢方ならではの「ていねいなアプローチ」だと私は思っています。


【”治す”のではなく、”灯をともす”】 漢方の役割は、症状をゼロにすることではなく、からだの窓にもう一度やさしく灯をともすこと。10の不調が7になって、穏やかに笑える毎日が戻れば、それも立派に一つの「回復」だと思うのです。


ご家族の「ちょっと良くなったね」が、いちばんの薬

千幸堂で耳のご相談をお受けしていると、ある共通のエピソードに出会います。

漢方を続けて1〜2ヶ月ほど経った頃。ご本人はまだ「うーん、あんまり変わらないかな…」とおっしゃる。けれどご家族の方がふと「最近、テレビの音、前より小さくなってるよ」と教えてくれる──。

ご本人にとっては、ゆっくりすぎて気づかない変化。でもそばにいる方は、ちゃんと見ていてくれるのです。

鼻の調子が整ってきた方が「朝、コーヒーの香りがするようになった」とおっしゃったこともありました。嗅覚の回復は、ご本人にとって「あ、変わった!」と一番分かりやすい瞬間かもしれませんね。

何年もかけてゆっくり変化してきたからだですから、戻していくのにも時間がかかります。焦らなくていい。ご家族の「ちょっと良くなったね」のひとことが、じつは何よりの励ましになります。

まずは”窓”のことを話しにきてください

もし今、「耳鳴りが気になるけど、どこに相談すればいいか分からない」「花粉症の薬は飲んでるけど、目のかすみはそのまま」「鼻の奥がいつもモヤモヤしている」──そんなことを感じていらっしゃるなら。

まずは、千幸堂でお話ししてみませんか。

漢方は、お一人おひとりの「からだの声」を聞くところから始まります。今の症状だけでなく、暮らし方、季節の影響、体質の傾向──そうしたものを総合的に見ながら、あなたに合った「窓の開け方」を一緒に考えていきたいと思っています。

特別な準備はいりません。 「なんとなく気になっている」、それだけで十分です。

からだの窓は、いくつになっても、少しずつ開いていけるものだと、私は信じています。


春の光が少しずつ長くなるこの頃。 窓を開けると、風の匂いがして、鳥の声が聞こえて、木々の緑が目に飛び込んでくる。

──その当たり前のことが、どれほどかけがえのないことか。

聞こえること。嗅ぐこと。見えること。 五感は、私たちが世界とつながるための”いのちの窓”です。

その窓がちょっと曇ったなと感じたら、どうか一人で抱え込まないでください。漢方には、窓をそっと拭いて、もういちど光を通すお手伝いができることがあります。

あなたの五感が、いつまでもあたたかな春の光を受け取れますように。 千幸堂は、いつもそばにいます。

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